琴似神社のルーツ

本日9月3日~4日、琴似神社の秋祭りです。
琴似本通り沿いに屋台がずらっと並ぶ光景は、私が子供のころから何も変わりません。

本日はあまり知られていない琴似神社の歴史をお伝えしたいと思います。
引用部分は「琴似屯田の記録」より。


琴似神社の発祥

琴似神社の前身は「日登寺」というお寺の敷地で生まれました。

琴似に屯田兵が入植した明治8年にはまだ神社もなかったので(中略)、亘理藩の有志が藩祖・伊達成実公の諡号「武早智雄命」の2字を頂き「武早神社」と称し、毎年9月を例祭としていた。

当初は仙台藩・亘理出身者のための超ローカルな神様だったわけです。

日登寺は明治8年10月に建てられた小堂が発端だそうです(山の手2条1丁目)。武早神社とほぼ同時期ですね。2013-08-29_15.32.22.0_iPhone 5_IMG_2597_琴似神社

2013-08-29_15.33.22.0_iPhone 5_IMG_2600_琴似神社


最初の遷宮

明治30年になって水上通りの斎藤繁太郎氏から神社敷地として2反3畝の土地が寄進されたので本殿をを水上通りに移し(中略)、この年6月、武早神社は「琴似神社」と称号を改めることが認可されていた。

この「水上通り」の敷地とは、日登寺より北西に600mの地点です。
住所で言うと山の手5条1丁目。
現在のマックスバリュの真向かい、「山の手会館」が建っているところになると思います。
神社があった形跡は皆無です。
これは全く知りませんでした。何十年もこの近くに住んでいるのに…。

神社跡地。ここに琴似神社があったとは未だに信じられません。
2013-09-03_17.36.20.0_Canon EOS Kiss Digital X_IMG_5606_琴似神社

山の手会館

山の手会館


現在地へ遷宮

下って明治44年、名実ともに村民全体の神社とするため札幌神社(筆者注:現在の北海道神宮)から開拓神大国魂命の御霊代を迎えました。大正4年現在地に遷宮し、同時に村社に列せられました。

現在の社殿は昭和28年のものですが、築年数以上の風格を感じます。
2013-09-03_16.32.49.0_Canon EOS Kiss Digital X_IMG_5549_琴似神社_shrine_hokkaido_japan

2013-09-03_16.37.37.0_Canon EOS Kiss Digital X_IMG_5564_琴似神社_shrine_hokkaido_japan

2013-09-03_16.38.10.0_Canon EOS Kiss Digital X_IMG_5566_琴似神社_shrine_hokkaido_japan


「カイコ飼ってた場所だったんだよ」の碑

琴似神社境内は「琴似屯田授産場 養蚕室」の跡地です。
遷宮される前は開拓使奨励により大規模に養蚕業が営まれていたそうです。
2013-09-03_16.44.54.0_Canon EOS Kiss Digital X_IMG_5584_琴似神社_shrine_hokkaido_japan


報徳神社

琴似神社拝殿の南側に「報徳神社」があります。二宮尊徳の「報徳思想」と関係があるのでしょうか?
2013-09-03_16.37.14.0_Canon EOS Kiss Digital X_IMG_5562_琴似神社_shrine_hokkaido_japan


<地図で見る琴似神社の歴史>

黄色が発祥地―その後青色に移動―赤色が現在地。

より大きな地図で 琴似神社の歴史 を表示

亘理町のことも知っておきましょう。

開拓功労者である、亘理伊達氏の亘理町。仙台から南へ約30km。
太平洋に面しており、東日本大震災で甚大な被害を被りました。
琴似神社と同じく武早智雄命を祀る「亘理神社」があります。
(創建は1879年ですので、琴似神社よりも後に創建されたことになります。)

より大きな地図で 琴似のルーツ を表示