16世紀から続く小樽の歴史。その発祥の地を探ります。
「おたる」の地名はアイヌ語の「オタ・オル・ナイ」(砂浜の中の川)に由来する。しかしこの言葉は現在の小樽市中心部を指したものではなく、現在の小樽市と札幌市の境界を流れる星置川の下流、小樽内川を示していた。
1596年 渡島福山の住人の八木勘右衛門が、オタルナイに入る。文献上最初の和人入植である。
と、wikipediaに記述されています。
「オタルナイ」は「小樽発祥の地」なのですね。
いろいろ調べてると、昭和40年代まで「小樽内(オタルナイ)」(または「オタナイ」)という集落が存在していたようですが、その後消滅したとのこと。
神社があったという証言もあります。
住所でいうと小樽市銭函3丁目と4丁目の境目。ドリームビーチの東側といえば想像しやすいでしょうか。
ひょっとしたら、まだ「オタルナイ」の名残りがあるかもしれない!
と思い現地調査へ向かいました!
小樽内橋
新川沿いを河口に向かって進みます。
超デコボコな未舗装道路。はっきり言ってしんどいです。
すると、廃橋が見えてきます。「小樽内橋」1965年築だそうです。
あくまで推測ですが、銭函からオタルナイまで道路がつながっていたのではないでしょうか。
(赤線は現在も通れる道路。緑線は失われたと思われる部分です。)
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msa=0&msid=205015922703245403358.0004e4bee0fd162d9974b&gl=jp&hl=ja&brcurrent=3,0x5f0b272ddc749a91:0x31acfb89ca387a08,0&ie=UTF8&t=h&ll=43.153352,141.194229&spn=0.060111,0.109863&z=13&output=embed
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集落入口
河口に到着すると、広場と船着き場が現れます。この辺りからがオタルナイ集落跡です。
船着き場は現在「新川マリン会」という団体が使用しているようです。
オタネ浜
自然に近い状態の砂浜が広がります。この浜辺は「オタネ浜」と呼ばれているそうです。
ここからは祝津から厚田の海岸まで見渡せます。
オタナイ発祥の地碑
「オタナイ発祥の地碑」がネットで紹介されていたので、探すことに。
が、見渡す限りの大草原の中、見つけるのは結構大変でした。
碑文を読むと、オタルナイは小樽発祥の地であると同時に現在の「石狩市樽川」発祥の地だということもわかります。
(「オタルナイガワって長くね? タルカワでいくね?」と当時の若者が言ったのでしょう。)
「オタルナイ場所」の漁師たちはさらなる良港を求めてクッタルウシ(現在の入船周辺)へ移動していきましたが、一部の住人がこの地に残り「樽川村」を形成したのでしょうか。
オタナイ沼とケモノ道
大きな沼がありました。オタルナイ川の河口の跡です。周辺はぬかるんでいます。要注意。
沼の周りは獣道が続きます。この辺りが集落の跡地だったのでしょうか。
それにしても、あんな立派な橋が残っているのに、集落があった形跡が全く無いのが不思議です。
神社の形跡も皆無です。
サビサビの冷蔵庫が放置されてました。
小樽内川
新川から分岐して、「清川」が流れています。この清川こそが「オタルナイ川」の名残りなんだそうです。
この川に沿って生活が営まれていたのでしょうか。
<アクセス>
国道337号線を曲がって新川沿いに河口に向かって走ります。
撮影ポイントを4か所挙げておきます。黄色のポイントが「オタナイ発祥の地碑」です。
水色の線はオタルナイ川流路の想像(本来はもっと蛇行していたと思われます)。
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